“左足封じ”のその先へ… 桐光学園MF西川潤、「偉大な先輩」中村俊輔に学ぶ打開策

インターハイ初制覇の桐光学園、“10番”西川が抱く先輩への思い「“中村俊輔”というのは象徴なんです」
 元日本代表MF中村俊輔は7月11日、J1ジュビロ磐田からJ2横浜FCへ完全移籍を果たし、31日に行われたリーグ第25節レノファ山口戦(4-1)で途中出場し、新天地デビューを果たした。41歳で新たな挑戦へと一歩を踏み出すことになったが、中村の母校・桐光学園高校でその背中を追い続けるのが、同じ左利きでエースのU-20日本代表MF西川潤だ。“先輩”中村に対する思いを、次のように語っている。

「同じ母校の、同じ10番を背負わせていただいている偉大な先輩で、自分にとっての憧れです」

 沖縄県で開催された今年のインターハイでは2年連続で決勝に進出し、悲願の初優勝を達成した桐光学園。インタビューはその約2週間前に行われたが、次代を担う逸材であり、この日も多忙なスケジュールの合間での取材となった。それでも、中村の名前が出た瞬間、その精悍な表情から柔らかな笑顔が浮かんだ。

「“中村俊輔”というのは、学校の象徴なんです。もちろん全員が知っている存在です。中村選手が卒業したという事実は、自分が桐光学園を選ぶ一つのきっかけにもなりました」

 “中村俊輔”という看板は、西川だけでなく、学校全体を象徴する存在であることを強調し、進路を決める際に、引く手数多だった西川が桐光学園を選ぶ理由の一つにもなったという。

 一方、2年生10番として昨年度の全国高校サッカー選手権に初出場したものの、初戦敗退という悔しさを味わった。「(利き足の)左を読まれて、その後のプレーの幅が狭かったなという印象が残っています」と、大会直前に注目選手として騒がれたことで「相手チームの対策を実感しました」と振り返り、相手の対策を上回って自らの持ち味を発揮することができなかったことを悔やんでいた。

 高校3年生となり、選手権も次がラストチャンスとなるが、対戦相手の“西川対策”を突破すべく、日本を代表するレフティーとして幾多の難関を乗り越えてきた中村のプレー動画を分析し、さらなるスキルアップに励んでいるという。

中村俊輔の映像を見ながら「右足をどう使っているのか確認して学んでいます」
「最近FKは(中村の)映像を見てチャレンジしている最中にあるんですけど、プレー面では主にキックフェイントですね。その際に右足をどう使っているのかとかは、映像で確認して学んでいます」

 悔しさをバネにした日々の努力は、インターハイ初優勝という最高の成果として形になった。それと同時に、西川にとって桐光学園のエースとして戦う残りの主要大会は、今冬の選手権のみとなった。

 中村も2年生で臨んだ初の選手権では初戦敗退を喫したが、3年生で迎えた同大会では、準優勝という結果を残している。同じレフティーで、同じ背番号「10」。そして、初の選手権で初戦敗退――。共通点の多い西川は、偉大な先輩の足跡を辿り、そして超えるべく、インターハイと選手権の2冠を見据えている。