名門高校サッカー部でたった1人の女子マネが戦った 元Jリーガー監督の父と駆ける夏

異例の女子マネが誕生、男子55人の桐光学園を1人で支える鈴木美南さんの2年半
 55人の短髪が駆けるグラウンドに1人、ポニーテールが揺れる。日差しの照り返しで、暑さが充満する芝生の上。選手の隙間を縫うように、せわしなく動く足は2時間以上、止まることがない。

「この時期は仕事が多いので、どうしても仕方ないんです」

 そう言って、はにかんだ鈴木美南さん(3年)の表情が西日に光った。練習中の選手を女子マネージャーが支える。そんな風景は珍しくないだろう。ただ、この場所ではちょっとだけ、特殊だ。

 神奈川県私立桐光学園高等学校サッカー部。

 元日本代表MF中村俊輔(現横浜FC)を筆頭に、多くのプロ選手を輩出した名門校だ。しかし、高校サッカーファンなら女子はおろか、マネージャーも採用してこなかったことは有名な話。転機となったのは、指揮官の決断。鈴木勝大監督、同校OBで桐光学園時代に中村の1年先輩で活躍し、国士館大を経て福岡などで通算96試合に出場した元Jリーガーであり、美南さんの実の父である。

 名門サッカー部に、なぜ女子マネージャーが生まれ、いまどき珍しい父娘の監督とマネージャーとなったのか。その裏に、美南さんの高校サッカーに対する、熱い想いがあった。

「TOKO」の伝統の青いユニホームに憧れたのは、小5の時。引退後に父が指導者をしていた熊本で体操に励んでいた美南さん。平均台が得意だった。だが、股関節の骨に異常が見つかった。「骨が折れやすい状態。もし、折れたら歩けなくなるかもしれないと言われて……」。大好きな体操が奪われ、目の前が真っ暗になった。そんな時、父の桐光学園監督就任を機に神奈川に移り住んだ。母に連れられ、見に行った父の試合。客席から見た光景に、心を奪われた。

「選手たちがひたむきに頑張っているところを見て、カッコいいなって憧れたんです」。週末は毎試合のように見に行き、初めて見た高校選手権の迫力には感動した。「高校サッカーって、こんなにすごいんだ」。父が鳥栖で10番を背負っていた01年に生まれ、父に抱っこされて試合で選手入場したのはうろ覚え。でも、この時の想いは違った。「桐光サッカー部の勝利に、少しでも貢献できたらいいな」。小さな憧れは、「マネージャー」という夢に変わった。

 1年間、受験勉強に励み、県内有数の進学校桐光学園中に合格。3年間、校舎から見える高校サッカー部のグラウンドに憧れの眼差しを向け、試合にはたくさん足を運んだ。いつか、自分もあの場所で――。ただ、父には相手にされなかった。「お前が簡単にできるものじゃない、厳しい場所だぞ」。何度、言われても「でも、頑張りたいから」と食い下がった。

 父に言わせれば「あまり前に出るタイプではない」という娘が、頑として曲げなかった想い。最終的には選手、学校、OBら多くの理解を得て、入学前に晴れて認められた。「すごくうれしかった」。小5から夢にまで見た桐光学園グラウンド。「緊張しかなかった」という練習初日、みんなの前で言った「頑張ります」という言葉からマネージャー生活は始まった。

 ただ、15歳を待っていたのは想像以上の現実だった。

 全国屈指の強豪校の部活。その雰囲気に圧倒され、輪に入れず、誰とも話せず、仕事もできない。「いつも、ずっと1人でした」。相談しようにもグラウンドには女子はおろか、マネージャーすら他にいない。50人以上の部員を相手に、孤独に押し潰されそうだった。中高ともに男女別学。校舎は分かれ、中学3年間で男子と接する機会もなかった。そんな様子を見て、父は思っていた。

「少なからず、ここにいる選手はそれなりに“選ばれてきた”ような子たち。彼女は何か特別な経験があったわけではなく、我が強い男性社会で揉まれたこともない。1年生でそういう戦場に入っていくことは、とても簡単とは思えない。父である以前に監督として、そんなに甘いものじゃないと」

 サッカーに秀でた能力を持った男子が集まり、レギュラーをかけて必死に争う「戦場」。高い壁にぶつかり、美南さんは毎日のように泣いた。父に見られたくない。部屋にこもり、声を殺した。「辞めたい」とも思った。ただ、ずっと夢見て、自分が選んだ道。簡単に諦めたくなかった。今はつらくたっていい。「やり続ければ、3年後に絶対良かったと思える」と信じ、前を向いた。

 きっかけになったのは「みんなの役に立ちたい」というマネージャーとしての純粋な気持ちだった。「もっと、仕事しなきゃ」。そう考えるようになると、自然と選手たちとの会話が生まれた。「これって、どうやればいいの?」。最初は怖いと思っていた選手たちが次第に教えてくれ、打ち解けることができた。今でも忘れられないのは1年生も半ばを過ぎた頃、初めて選手から「これ、お願いしてもいい?」と頼まれた仕事。「本当にうれしくて……」。ただのユニホーム整理が、特別な瞬間になった。

 自信が、自分を変えた。では、強豪チームを1人でどう支えたのか。工夫を凝らし、誰も見えない場所で、苦労を重ねた。

 仕事は練習中の備品の運搬、練習着の整理、来客対応まで多岐に渡る。ただ、女子は午後6時までに下校という校則がある。練習は6時以降も続き、最後まで選手といることはできない。特に夏は練習中、ドリンク作りだけで時間が過ぎ、他にやるべき雑務が追いつかない。空いている時間はどこか。自分で考え、行動に移した。眠い目をこすって午前7時に一人で誰もいない部室に入る。それでも足りなければ、昼休みも使い、できることは何でもした。そんな陰の努力に、選手の信頼も少しずつ増していった。

 やがて2年生となり、迎えた最上級生。U-20日本代表FW西川潤(3年)らを擁するチームは昨夏のインターハイで準優勝するなど、全国トップレベルまで強くなった。選手の成長と比例するように、強くなったのはマネージャーも一緒。今はもうサポート役の男子下級生に指示する姿がなんとも頼もしい。

「マネージャーをやる前までは気遣いもできなかった。でも、最初に選手と全く話せなかった時、何も話せずにいつも1人でいるから、普段は誰かと話しながら歩いている道も周りを見ながら歩けた。そういう時に気づけることもあると思った。だから、もっと見ながら動かなきゃと最初に気づけた。人のためにやることって意外と難しくて、あれもこれもやろうとすると頭がぐちゃぐちゃになって、全然できない。でも、だんだんと慣れて、こなせるようになって、少しは心が広くなったかなという気がしています」

 孤独も、挫折も、涙すらも、すべて成長の力に変えた2年半を、今となっては笑顔で振り返る。

 父と歩んだ時間も特別なものだった。家で「パパ」と呼んでいる父は、グラウンドで「カントク」と呼ぶ。それは、マネージャーをやる時に決めた約束事だ。最初はやりづらさもあった。「みんなの前で『敬語を使わなきゃ』って、意識をしていたけど、今はもう慣れて当たり前のこと」。高校生活で家族旅行なんて行く暇はなかった。それでも、桐光サッカー部が絆を深めてくれた。

 父にとっては難しさもあった。マネージャーとして本来、やるべきことができなければ、娘であることも関係なく、厳しく叱った。監督とマネージャーの関係は徹底した。「そこがブレると、選手が一番敏感になる。でも、家に帰って玄関を開ければ、引きずらないように。彼女だけ不利になってしまうから」。普通の父娘より長く一緒にいるからこそ、成長も認めていた。

「一つ思うのは、人のことをよく観察しているなということ。なんとなくレールを敷かれて12歳まで生きてきた子が自分の覚悟でこの世界に飛び込み、状況を見て、聞いて判断し、社会に出ても必要な能力をそれなりに学んでくれている。最初、うまくいかない時も私には絶対に愚痴を漏らさず、辞めたいと言ってきたこともない。いろんなことを一つ一つクリアしながらやってくれた」

 マネージャーはあくまで裏方。選手の陰で汗を流し、彼らが全力を尽くせるように自分を犠牲にしてサポートする。それでも、美南さんは「試合で勝ったら自分もうれしいし、『選手権で優勝してみたい』と思って、それを考えていれば大丈夫」と、その楽しさを語る。女子専用の部屋もなく、着替えはトイレ。男子がやんちゃする空間でも「もう、そんなのは慣れました」と笑った。

 そんな仲間と目指す目標が目の前に迫っている。夏のインターハイ。初戦となる2回戦・清水桜が丘(静岡)戦が27日に行われる。

 一生に一度しかない、高校3年生の特別な夏。「勝利の女神」になろう、なんて思っていない。胸にあるのは「自分にできることを精一杯やって、みんなに貢献できるように」ということだけ。昨年は決勝で山梨学院に延長戦で敗れ、準優勝。「サッカーは何が起こるか分からないんだ」と思わされた。「悔しかった。勝ってくれると思っていたので、最後の笛のシーンが印象に残っている。今年は優勝したい」。期待に胸を膨らませ、大きな瞳は目の前にある最後の夏を見つめた。

 監督は「本当はいけないけど、彼女がいることで常に襟を正さなきゃいけないと、よりシビアになった」と明かした上で「私も人として監督として、もっと成長しなければいけない上で彼女が一つの材料となり、部をサポートしてくれている。彼女には引退する時、選手から『お前がいてくれて良かった』と言われるようにしろと言ってきたけど、私自身、少なからず感謝している」と語った。そんな想いを知ってか知らずか。苦楽を共にしたマネージャーは最後に、こう言った。

「自分も今年が最後なので、いっぱい楽しんで、監督と選手と、最高の夏にしたい」

「南で生まれ、美しく育つように」という願いを込め、美南と名付けられた。決戦の舞台は、沖縄。南の島でキラキラと輝き、日本一長い夏にする。